Koziさんに対する気持ち


MALICE MIZERの優雅で気高いイメージを壊しにかかるお笑い部隊。
カリスマ性を意のままに集めたマリスの中で
敢えてその空気を茶化して他のメンバーの上げ足を取る面白い人だった。

ナルシストモードで突っ走りながら美学を語るGacktさんを容赦なく斬りながらも
その才能や魅力はおおいに認めて褒めたり
世間一般に受け入れられづらいMana様の価値観を面白いと評価して飛び付いたり
周りの空気に流されないスタンスで生きているイメージ。
赤い照明と骸骨まみれのお部屋や身体中のタトゥーもまた強い個性の象徴であり
類友として溶け合うことのないマリスの特色を濃くしていた。

Mana様の作る曲は美しく優雅な印象であるのに対して
Koziさんの曲は色んな音がいっぱい詰め込まれていて発想力が凝縮された印象。
何が入っているかワクワクしながら開けるおもちゃ箱のよう。
聴く度に新しい発見がある音楽と出会ったのは初めてで、夢中になって音に触れた。
Mana様の曲も好きだったけど、どっちかと言うと音楽性はKoziさん派だった。

さすがマリスのフロント組、華やかで綺麗な人。
こんなメンバーがいるマリスって素敵だなという認識で
個人的に強く感情移入することはなく「選ばれし5人」のうちの1人という認識だった。

Koziさんの思考に強く惹かれたきっかけは
Gackt脱退に関するマリス側からの公式文章として出された
「ゴメンナサイ」という一言だった。
それはMALICE MIZERとしての発言ではなくKoziさんが選んだ言葉だった。
美しい単語の羅列やもっとスマートな表現も出来ただろうに
子供の躾で教えるごくごく基本的なその一言を選んだことが私の心を掴んだ。
不器用さが見えても美しくなくても、真心込めて向き合ってくれたと伝わる一言。

3期マリスではMCを担当することが増えたが
それは消去法で炙り出された選出であり、得意分野ではなかった。
ボーカルがバンドを語る主体性を失った中で
頑張ってくれてるのは伝わりつつも少し頼りなく、横からチャチャを入れる方が合ってる気がした。
活動停止に対する発言も、そんなマリスでやっていく自信を見失ったような印象で
2期と同じ才能を発揮するだけではバンドが成り立たないことを悟ったような疲弊を訴えていた。
それに対して私は熱く反論して魅力を語ることが出来なかった。

マリス全員が好きで誰が欠けても嫌だった私は
迷うことなくソロ活動も追いかけ始めた。
そして届けられた1st音源『KHAOS/KINEMA』に度肝を抜かれる。
鼓動が高鳴り、目を見開いて興奮を叫ばずにいられなかった。
すごい!この人やっぱり天才だ…!
音楽的な好みで言えばマリス曲を一瞬で超える程に惹かれてその才能に惚れ直す。
効果音の魔術師のようだと思った。

本人からの旅日記でしか知ることの出来なかった海外拠点のEODの活動を経て
やっと会える待望の再会となったソロ1stライヴ。
Koziさんは曲の途中で言葉に詰まって歌えなくなり、俯いて泣き出した。
そっかそっか、心細かったんだね。
安心出来るおうちがなくなって1人で賭けた勝負が怖かったんだね。
ここに来るまで棘の道だったもの、苦しかったよね。
だからこそ待ってたよ、会いたかったよ、おかえり。
そんな感想を伝えたメールにも「男泣きしていいっすか」とコメントをくれたりして
自分がそこにいることを喜んでくれている実感に感動した再スタートとなった。

「ああ、悲しみよ こんにちは」と言って自分の感情を歌い始めた彼に寄り添うことで
「ああ、悲しみよ さようなら」に変えることが出来るなら
喜んでその想いを受け止めるよ。
それは多くを語ろうとしなかったマリスに求めていたことだった。
もっと何を考えているのか教えて欲しかった。
もっと理解してあげたかった。

マリスではなくなったのに、マリスをタブー視せず
口を開けばマリスマリスとその名前を聞かせてくれて逆にドキドキした。
Kamiくんのトレードマークだった蝶の指輪をつけたり
Yu〜kiちゃんがマリス時代に着ていた黄色のスーツを着たり
あれ?それってGacktさんの愛用タバコのJokerだよね…?
他のメンバーについて言葉で語ることはなかったけど
ファンに対して安心と喜びを与えようとそっと訴えていた彼。

ファンの前に出てくる機会のなかったYu〜kiちゃんに作詞を依頼し
まさかのマリスメンバー共同作品を届けてくれたりもした。
リアレンジして『COLOR ME BLOOD RED』を歌い、特典としてCD化もしてくれた。
マリスの活動停止発表に感じた絶望が和らいで
一瞬にして泡のように消えたと思った感覚にストップをかけてくれた。
具体的な言葉では何も言ってくれないけど
「マリスを好きなままでいいんだよ」って一生懸命訴えてくれていたんだと思う。
居場所がなかったミゼラーにくれたとっておきの安心感だった。

しかしライヴの盛り上がりがイマイチで演者も客も生の醍醐味に困惑していた。
3期マリスの時に感じた主役の位置を使いこなせない力量不足が
逃げ場のなくなったソロ活動では更に浮き彫りになってゆく。

豪華な舞台装置があるわけでもなく、演出も何もなかった。
様子見のオーディエンスの心に火をつけるような熱い煽りもなく
聴かせる歌声もプロとしてはクオリティの低い歌唱力と言わざるを得ない。
曲の雰囲気もビジュアルもミゼラーが愛したままの空間なのに
「MALICE MIZERのKozi」をMALICE MIZERから抽出しただけのような感じで
他のメンバーや事務所が補ってくれていた魅力が足りなく思えた。

楽曲のセンスは何のお世辞もなく惚れ込んでいただけに
それが活かされない現状が物凄く勿体なく思える。
「これをGacktが歌ったらどんなに格好良いだろう…」

私の頭は現状の打開策でいっぱいになり、そこにある魅力に目が向かなくなりつつあった。
Koziさん本人にもたくさんのダメ出しとアイディアを送り続け
冷めていくファンたちの空気をどうにかして盛り返せないかということばかり考えていた。
でも、結果的にそれはKoziさんを追い詰めることしか出来なかった。

1人、また1人、Koziさんのライヴに行くのはもうやめると言い出す周りのミゼラーたち。
行き続ける人たちも切り捨てる勇気が出ないだけの惰性が多かった印象で
ライヴ会場でも後方からスペースが埋まる現象が起きる程
熱意を持ってステージを求める人は減ってしまっていた。
皆Koziさんのことは好きなのに、煮え切らない現状。

本人から私のHPをいつも見ていると言われた時は舞い上がったものの
好意的な応援ばかりを発信出来なくなって見られることが苦痛になったりもした。
けれど私は1人の受け手として無理な胡麻擦りはしたくなかった。
私がブログに書いたことと連動するかのようなKoziさんの日記に周囲が騒ぐ。
きっと本人にメールしていないことも全て筒抜けだったんだと思う。

そんな弱気な発言の日記が続く中
沸き上がる創作意欲とは言い難い、力を振り絞ったような2ndアルバムがリリース。
今までの音楽性とガラっと変わり、盛り上がるライヴを意識して作られたバンドサウンドだった。
それはミゼラーのニーズとは違ったんだと思う。
最後の砦が壊されたように感じたファンが多く、ネット上は酷評の嵐だった。
私は発売日にCDを買うことすらしなかった。

ライヴで聴いて好感触だったのでCDを買い「初めてライヴが音源を超えた!」と喜びを感じたものの
その日は活動停止が発表され、互いに無理していた関係にピリオドを打つことに。
その宣言をしたライヴでもKoziさんは涙を見せ、心が揺れたけど
同情だけじゃファンでいられないことを思い知った上で成す術はなかった。
会えなくなることへの落胆は然程なく
解放されたような気持ちでその後一切情報収集すらしなくなった。
活動を再開したことを知ったのは何年も後のことで、引退してしまったのだと思っていた。

離れている間に色んなライヴに行った。
マリスに憧れて育ったアイドルが演ったミゼラー色の濃いステージを見た時は嫉妬が渦巻いた。
プロに作らせた楽曲を歌い、マリスかぶれの演出をしただけで
たくさんのメディアに取り上げられ、大勢の観客が絶賛する光景。
世の中の評価は才能に比例しないことを思い知らされた。
注目をかき集め、より華やかに見せる力のある事務所の威力に呆然としながら
私はKoziさんの輝く姿を諦めきれずにいた。

ライヴに行かなくなっても私の生活から彼の音楽が消えることはなく
別のバンドを追いかけている時もその中にいるミゼラーたちとつるんでいたし
リアルタイムを追わずともファンとしての自覚は持ったままだった。
ふと気が向いてKoziさんのライヴに行きたいと漏らしたら一緒に来てくれることに。
5年の沈黙を破って会いに行ったその日は愛しさと嬉しさで胸がいっぱいだった。
あかうずくんを持って『COLOR ME BLOOD RED』を歌う姿は思い出の中と一緒。
しかしこの時の私には別のバンドが生活の主軸にあり、継続して通う気までは起きない。

マリスの軌跡に対する様々な苦痛が鈍り始めると
ソロ活動も含めて楽しいことばかりが思い出された。
中でも遊び心満載のKoziさんのFCイベントで出された「スウィートポテトウンコ風」は
今でも衝撃でクスっと笑ってしまう(笑)。
楽しい回想が現実に向き、時間をかけて少しずつ情報収集を再開するようになった。

Twitterをじっと眺めること1年弱、見ているうちに会いたい気持ちが膨らんでいった。
何かのついでに一緒に情報が流れてくるツールはとても効果的だったと思う。
スケジュールをマメにチェックして、ファン活動復帰の足踏み。
ゆっくり見れそうなライヴを待てず、気持ちが爆発しそうになった日に奇跡的にライヴがあり
物凄く緊張しながら当日券を買って1人で飛び入り参加した。

年齢を感じた。お客さんが思った以上に少なかった。
でもそんなのどうでもいいくらい、目の前にKoziさんがいることが嬉しくて仕方なかった。
会いたいと思った時に、今もこうして活動していてくれたことが本当に嬉しかった。
この目で見てきた色んな景色は現実は過酷だと教えてくれたから、余計にその重みを感じた。
ステージに立ち続けていてくれてありがとう。

出戻って間もなく、数年越しに話す機会が訪れた時
サインを貰おうと名乗ったらすぐにメールの差出人と繋がって名前を呼んでくれた。
そして「また宜しくお願いします」と頭を下げてくれたのだ。
過去の流れも理解した上であろう「また」にドキっとしつつ
再び一緒に歩き始めることを実感しながら温かい手を握った。
いっぱい傷つけたのに、こんな私を受け入れてくれてありがとう。
ただいま戻りました。

サポート、ZIZ、ポロロン、ピコピコ、セッション…などなど
出戻った私には色んな形態で活動するKoziさんの全てが新鮮で
一気に色んな音楽性を提示されても全部を好きになれるのか不安だった。
どこにもマリスらしさはなく、全て1から手に取る感覚。
でも、全てがKoziさんの魅力に溢れていて
恋しさを募らせて戻ってきた目線で見るステージはどれも楽しかった。
歌声もパフォーマンスもメンタルも頼もしくなったKoziさんに私は安心して飛び込んでいった。
今日に至るまでこの人どれだけ努力してきたんだろう。
私も周りの人がどうだとか空気を読むよりも、目の前に広がるものを楽しもうと思った。

近くに感じられる距離感が嬉しくて、想いの丈をたくさん届けるようになった。
ライヴ感想は勿論、マリスに関すること、個人的な悩み、他愛のないことも含めて
直接的な言葉は殆どないながらに度々リアクションをくれるKoziさん。
その心に届いた実感は私のエネルギーとなり
私も喜んで貰えるようにもっと応援したい、私もKoziさんの活力の一部になりたい
そんな風に思うようになった。

まっすぐに楽しんで、まっすぐにその喜びを伝える。
ただそれだけの簡単なことが、やっと出来るようになった。
大事なマリスの思い出を守りたくて牙を剥いて警戒してた私に
「そんなに怯えなくても消えたりしないから大丈夫だよ」とでも言うような安心感を与えてくれた。
「もっと肩の力を抜いて目の前のこと一緒に楽しもうよ」
言葉のないKoziさんからそんなメッセージを感じた。
「一杯やっか」ってそんなニュアンスも含む言葉なのかもしれない。

Koziさんがマリス曲を歌って聴かせてくれるなんて夢みたいだった。
過去にしかないと思い込んでいた曲が今も生きているのだと教えてくれた気がした。
苦しい記憶の封印を解かれ、涙と共に溢れ出る想いを
そっと抱き締めてくれるかのような穏やかな優しいアコギの音と歌声。
嬉しくて、楽しくて、泣きながら笑った。
「ああ、悲しみよ こんにちは」「ああ、悲しみよ さようなら」
歴史が変わっていく。この人が変えてくれている。

Koziさんのおかげでマリスがパンドラじゃなくなった。
「あの頃に戻りたいけど戻れない」という切なさよりも
マリスの魅力を今のKoziさんが見せてくれることが楽しく思えた。
例えそれが当時と違う印象を与えるものだったとしても
今も十分幸せで楽しくて満たされているから、些細な思い出共有のような感覚。
悲しい涙は流れなくなった。

形あるものは壊れ、肉体は老いてゆく。
この関係にもいつかは終わりが来てしまう。
けれど今にしか出来ない「今を楽しむこと」を教えてくれたKoziさん。
いつだって1度きり、その奇跡を噛み締めて今を一緒に歩いて行きたい。


2015年08月19日

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