MALICE MIZERの活動停止について


それは悲しみの封印だった。

罵声や嘲笑を浴びながらもめげることなく独自の思想で道を切り開いてきたバンドが
ようやく多くの人に受け入れられ始めた人気絶頂期。
多くの理解者と多くの資金がMALICE MIZERの活動の為に集まり
頭で思い描いていたビジョンを現実として叶え始めたばかりの頃。
Gacktさんの独走により、目の前に広がる可能性が潰された。

他に類を見ない表現力の豊かなバンドの顔となり
頭の回転が速く博識で、コンセプトの構築も広報も彼なしにはここまで来れなかっただろう。
私がマリスの世界観の深さに心を掴まれたのも
Gacktさんの饒舌な解説と誘導があったからだと思う。
バンドの母体は残り、たった1人欠けただけ。
多数決なら勝利の筈なのに、マリス側に軍配は上がらなかった。

孵化して最初に見たものを親と認識してついていくように
好きになった頃の形態が1番輝いて見えるファンの心理。
1期のファンは2期を受け入れず去った人も当然いて
2期のファンもまたすんなりと3期へ移行出来る人ばかりではなかった。
Gacktさんを迎え入れた時はそんな抵抗感を示す人に対して
「去るものは追わない」と強気な発言で未来の可能性に確信を持っていたように見えたけど
Gacktさんの脱退は前ボーカルとはわけが違う。

残された立場にとって追い打ちとしか言いようのないKamiくんの死。
人数にして半分近く減ってしまった。
しかもMC担当で社交的な2人がいなくなり、バンドのバランスは完全に狂ってしまった。
その穴を誰が埋めるのか、それは塞がる穴なのか。
素人の代役を立てるにはあまりに無謀な大きな損失だった。
かと言ってここまで大きくなったバンドにどこの勇者が入りたがるだろうか。
強大なプレッシャーがかかった立場であることは誰の目にも明らかだった。

「地下活動」と称して制作活動に専念するべく、メディアから姿を消したマリス。
ミゼラーとして完全に覚醒して行動力を持て余していた私はじっと待っていられず
精力的に活動していたGacktさんのライヴ会場でミゼラーに声をかけて
マリスメンバーに送る応援メッセージを署名形式で集めて回ったりした。
皆再会を待ち望んでるから早く帰ってきてね。
そして間もなくの復活宣言。
嬉しくて嬉しくて空に「復活」の文字と花火が上がる幻が見えた程感激した。

しかし新衣装を見て少し落胆した私がいた。
派手さを増していたそれまでのビジュアルインパクトは全くなかった。
「今回は黒じゃなきゃいけなかった、生地も宝塚チックなものではなく煌びやかなものは省いた」
衣装もメイクも世界観を表現するのに意味があり必要だと豪語していたマリスが好きだっただけに
今までとは違う異変に動揺した。
Mana様の髪色がほんのり紫色である意味を察し
Koziさんのこの言葉には見た目だけではなくもっと深い内面への感情理解を求められている気がした。
曲に乗せて訴えるファンへのメッセージを受け取らねばと意識を集中させることに。

歌詞もPVも音も目一杯考察したけど
『ILLUMINATI』の存在に脈拍が急上昇したようなスリリングな興奮は見つからなかった。
そこにあるのはメンバーたちのファンやKamiくんやマリス自体に関する愛情で
悲しみを包む優しさとメインとし、静かで暗く重い空気だった。
再会、虚無、白肌、Gardenia、ビースト…
ずっとMana様の作曲が続いて美しくなめらかな雰囲気に統一されつつあった曲にも
私の好きなマリスはこんなのじゃなかった筈だと不満がこぼれ始める。
突拍子もない発想力でガツンと衝撃を与えて欲しくてウズウズしていた。

メジャーからインディーズに戻り、自主レーベルを立ち上げた3期は
事務所社長との関係上、Mana様の意見が反映されやすかったのだと思う。
原点回帰をテーマに掲げた3期の始動。
Mana様自身は惜しみなく魅力を発揮していたけど、それをマリスだとは認めたくなかった。
それを違う視点から描いて別世界を見せるKoziさんの音作りと
持ち寄られた題材を飛躍的に脚色して分かりやすく表現するGacktさんが恋しかった。
ぶつかり合わずに尊重し合うことの欠点に目がいってしまう。
Klahaさんは協力しているに過ぎず、彼の加入によって得る新しい展開は感じられなかったし
曲の解説がストレート過ぎて聞き手があれこれ考える面白さを奪うスタイルを残念に思っていた。

でも「憧れのマリス」が近くに来てくれる喜びはとても大きかった。
初めての握手会、初めてのオールスタンディングのライヴ。
私がファンになる前は開催されてはいたものの
ソールドの横アリでメンバーの顔が見えないという話が出ていた頃にファンになった私には
その距離感は突然変異のような衝撃があった。
自分たちのパフォーマンスを一方的に見せたいのではなく
ファンの声を聞いてファンの表情を見て安心したいということなのかと解釈し
求められる喜びに目一杯応えたくなった。
そのおかげでメンバー個人に対する想いは自然と膨らんでいく。

私の中でMALICE MIZERの世界観は最早オマケになってゆく。
ライヴのステージには何のセットもなかった。
衣装もPVもなんだか質素に思えて、人とお金が減っていることは明らかだった。
でもファンでいたくて一生懸命目をつむっていた。
私は見た目だけでファンになったわけじゃないと自己肯定に必死になる。

Klahaさんの存在に拒絶を示した多くのミゼラーはGacktファンだった。
新しいマリスを応援したい気持ちはあれど
Gacktさんを好きな気持ちをどう処理したらいいのか困惑していたのだと思う。
この世界にはもうGacktファンの居場所はなくなっていた。
Kamiファンも「Kamiに会いに行く為のマリス」が変形したことを受け入れられずにいたけれど
3期に白熱する空気よりも先にただ2期をタブー視する風潮があったように思う。
気持ちの切り替えが出来た人との価値観に摩擦が起こりやすく
現存するメンバーの熱心なファンでないと肩身が狭くて居づらいと言う人をよく見かけた。

Gacktさんもマリスも両方応援しているミゼラー
Gacktさんには嫌悪感を抱いているミゼラー
他のメンバーは好きでもKlahaさんを受け入れられないミゼラー
今動いている形態に難色を示して過去に生きることを選ぶミゼラー
皆同じミゼラーの筈なのに、ファンの中の派閥は滅茶苦茶になっていた。
当然それはメンバーにも伝わり、皆が夢中に応援してるわけではない実感を与えていたと思う。

嘆いても仕方がないのは分かっていた。
でも埋めることの出来なかったGacktさんとKamiくんの穴。
彼等がいなくなってしまうとこうなるという現実が展開されていくばかり。
精力的に活動を続け、MALICE MIZERは永遠だと言ってくれた喜びは大きかったけど
大切な人を失った悲しみを消化する時間もなかった。
ただ「側にいる」ということだけが互いに生きる救いだった気がする。

久しぶりに『Gardenia』から黒じゃない衣装も見られるようになって自然と心が踊り
待望のKoziさん作曲の『Garnet』で歌声も楽曲もやっと素直に楽しめるようになってきた私。
アルバム制作に入ったと報告があり、次のステップを楽しみにしていた時だった。

2001年12月11日、MALICE MIZER活動停止発表。

Garnetをヘビロテしながらインタビュー記事を読み、上機嫌でマリスに浸っていた午前中のことだった。
「今日すごいDMが届くらしい…活動停止とかなんとか…」と友達からメールを貰って事態の急変を知る。
メールをくれた子は「友達の家にDMが届いたって連絡を貰った」とのことで
それが公式情報であり、デマという可能性を疑うことは不可能だった。
慌ててマシェリに問い合わせの電話をしたけど全く繋がらない。
焦って何度も何度もかけ直した。
インフォメーションダイヤルは8日更新のままで何も言っていない。
詳細を聞けば年内で終了、FCはなくなって返金、今までありがとうございましたって、え…?
それは事実上の解散ということ…?

部屋の壁にビッシリ貼ってある切抜きとポスターに向かってMana様の名前を小さく呼んだ。
声を発した途端に困惑は絶望に変わり、パニックになりながら泣いた。
たくさんのミゼラーとメールのやりとりをしながら通学し、道中ずっと涙ぐんでいた。
様子のおかしい私を気遣って声をかけてくれる学校の友達に事情を話すも
他人に説明出来る程の余裕がなく、学校に来たことを後悔した。
授業中もひっきりなしに届くメール。
いつもと変わらない日常の裏で、同じ世界に生きる者だけが異常事態を共有してた。
これは解散ってことだとは思いたくないと、皆が希望を含む解釈を訴えていた。

ついに公式サイトに告知が出たと聞き、学校のPCから恐る恐るアクセス。
自分の目で見た現実は、限りなく黒に近い灰色を完全な闇だと突き付ける。
ソロ活動の気配を感じて、もう見れなくなるわけじゃないんだという安堵と
メンバーたちがバラバラになってしまう寂しさを感じた。
それと同時に感動的な誓いを立ててくれたメンバーを責め立てたくなった。
永遠を誓ったのに!Kamiくんはどうなるの!?
もうファンのこと悲しませないって言ったじゃない!!!

でも、この決断をしたかった人がいるのだろうかとも思った。
勇気を欲する人に激励する時の「当たって砕けろ」という定型句が頭をよぎった。
やるだけやってダメだったと判断したように感じた。
苦しい中で頑張ってきたけど、やっぱりうまくいかなくて、限界だったのだと。
活動の節々からメンバーの苦悩は感じていた。
ファンの期待に応えようと一生懸命で、常に不安いっぱいだったのも分かってた。
そんな弱った彼等を責めるのはあまりに可哀想で
「今までありがとう、お疲れ様でした」と言うべきなのかと思ったけど素直にそうは思えなかった。

ミゼラーたちの怒りの矛先はGacktさんへ。
彼1人の自由の為に、どれだけのものが犠牲になったのだろう。
そんな彼は紅白歌合戦への初出場が報道されていた。
憎くて憎くてたまらなかった。

煮詰まってしまったならまた「地下活動」すればいいじゃない。
ずっとずっと側にいてよ。これからも導いていってよ。支え合おうよ。
バラバラになるマリスなんて見たくないよ、皆で一緒にいようよ。
考え直して下さい。
お願いだからこの声を聞いて下さい。
お願いだから何か言って…安心できる何かを…。

活動停止発表を受けて、ミゼラーであることの主張をやめる人をたくさん目にした。
ファンサイトの閉鎖が相次ぎ、マリスコンテンツは激減。
ファンを上がります、コスをやめますと宣言する人たち。
「メンバーが停止するのだからファンも停止するのは自然だ」との意見に
ものすごく置いてきぼりにされたような気持ちになった。
私にはそんな気持ちの切り替えは無理だった。
今日も昨日と同じようにマリスが好きで、明日も同じようにマリスが好き。

ただ待っていたかった。
これが解散でないのなら、またいつか帰ってきてくれるんだよね?
「深い絆で結ばれていると信じています」という会報のMana様の言葉が嬉しかったけど
その約束はして貰えなかった。

各ソロ活動に触れ、熱くなったり悲しくなったり憤慨したり落胆したり
動かないマリスを好きでいながら、動いていくメンバーを見るのは少ししんどかった。
変わらない筈の過去が塗り替えられていく。
今が楽しい時は連動して過去も安定するけど、メンバーが生きてる限り過去は引きずられるのだ。
今やっていることに好意を抱けないと過去も一緒に曇ってしまう。

活動停止から9年。
Mana様とKoziさんとYu〜kiちゃんが同じステージに立つと言う。
しかしそれはMALICE MIZERの復活ライヴではなく、イベントの1コマのセッションだった。
モワディスからもKoziさんからも離れていた私はマリス関連に足を運ぶ習慣はなくなっており
中途半端な同窓会に拒絶感を示す。
MALICE MIZERでない人たちがMALICE MIZERの歴史を動かさないで欲しい。
私の思うマリス像と違うものは受け入れたくなかったし
メンバーが何を考えてステージに立つのかも理解出来なかった。
自分の意思で不参加を決めた。

けれど気になって仕方なくて、参加してる友達が伝えてくれる感動と興奮の実況に張り付いていた。
教えて貰ったセトリ通りに曲を再生し、会場の空気を想像しながら
ここまで疑似体験を求めているのに生の現場を拒絶した理由が分からなくなった。
頭で考える程心は複雑じゃなかったのだ。
何がどうであれ、触れたかった。
もし次があるのなら今度は自分の目で見てみようと決意する。

2年後、その機会は訪れた。
感動する確信はなくどう感じるか不安だったけど、ただ自分の五感で触れたかった。
嬉しかった、楽しかった、感動して泣いた。
会場の後方から眺める熱意のなさだったけど
今動いているものを感じようとする感覚がここから再び芽生えていく。

1度離れたリアルタイムの活動に出戻り、今のメンバーに会える喜びを噛み締めていた。
こんなに年数が経ってもステージに立ち続けていてくれること
そしてそれを素直に楽しめるようになった自分の心境の変化に満足し
マリスの活動はないものの、ミゼラー生活で1番幸せだと感じるようになっていた。
形態やビジュアルへの執着心は薄れ、復活願望も遠い記憶になりつつあった。
ただ目の前に広がる景色が楽しくて嬉しい。

しかしKoziさんの口からマリス復活の可能性について語られる機会があり
「復活の呪文を書いた紙が見当たらない、お母さんが捨てちゃったのかな」と
冗談交じりに笑いを取りつつも、完全否定されたことに強く絶望してしまった。
分かっていたことだった。
けれどマリスがない、マリスが戻ってこないという実感は思っていたよりずっと辛かった。
そこで改めて過去だと割り切れない自分の本音に向き合うこととなる。

そして訪れたマリスメンバーによるセッションの再来。
告知だけで感極まって1時間泣き続けたほどの感動だった。
今のメンバーの想いを感じながら感情を育んできた上で迎えるその集結は
過去から突然タイムスリップして見た前回とは全く違う奇跡だった。

KoziさんはTwitterプロフィールで自らを「MALICE MIZERのしと」と名乗った。
今までのセッションでは曲名をもじってユニット名が命名されていたのに
MCでは「MALICE MIZERです」と連呼した。
レスパスの再現をしたその日のステージは
悲しみを一回りして、メンバーたちが抱えてきた愛しい記憶の再生のように思えた。
そこにはKamiくんは勿論、Gacktさんの存在感も感じた。

ライヴを振り返ったMana様のブログには
「MALICE MIZERは過去のものではありません、生涯MALICE MIZERを存在させていたい」
という明確な意思表明が出された。
年々感受性が高くなっていた私は、それを読んで気絶してしまった。
そのくらいの激震だった。
その言葉をまっすぐ信じて喜べるだけのこの日までの活動と当日のライヴがあった。
走馬灯のように苦しい記憶や泣いた思い出が蘇り、それが全て報われるような気持ちになった。

リリースもなければMALICE MIZERとしてのライヴ予定もない。
新しくボーカリストを迎えるわけでもなく、残った3人が集まっただけ。
でもそれは私が会いたかったMALICE MIZERだった。
正式な発表はないけど、2014年10月11日にMALICE MIZERは復活したのだと思う。
パンドラの匣の封印を解いても、溢れ出てくるのは悲しみや絶望ではなくなっていた。
おかえりなさい。恋しかったよ。

未来の約束もないし、正式な活動復帰の見込みも見えないけど
MALICE MIZERが今もあるのだという意識をメンバーと共有出来る安心感。
今のあなたたちが好きです。
思い出の中のMALICE MIZERも大好きです。
出逢えて良かった。
苦しくても生きていて良かった。



2015年08月22日

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